歌舞伎狂言の演劇的要素

安政年間の市村座
三代目歌川豊国 画『踊形容江戸繪榮』(おどり けいよう えどえの さかえ)大判錦絵三枚続物。安政五年 (1858) 七月江戸市村座上演の『暫』を描いたもの。

現在伝承されている江戸時代に創作された歌舞伎狂言の演目は、大きく分けて人形浄瑠璃(文楽)の演目を移植したものと、歌舞伎狂言として創作されたものがある。人形浄瑠璃の演目を移植したものは丸本物と呼ばれる(義太夫狂言と呼ぶ場合も多いが、これは義太夫を用いる歌舞伎の称であり、意味するところは多少異なる)本来的に歌舞伎狂言として創作されたものは、基本的に下座での音楽が演劇を演出する。

演劇的な内容としては、歴史的事実を演劇化した時代物、その当時の世界を描写した(現在なら民放のテレビドラマに相当する)世話物などに分けられる。また、世界と呼ばれる約束事があり、演目の背景となっている物語の基本的な大枠が決まっていた。例えば「太平記の世界」、「平家物語の世界」、「義経記の世界」、「曾我物の世界」、「隅田川物の世界」などがあり、登場人物やその関係などは初めて見物する観客にとってもよく知っているなかで、観客は戯作者がどのようにストーリーを展開させるかを楽しむようになった。

江戸時代には歌舞伎狂言の公演は公許制度の下にあり、多くの時代において日の出から日没までにすべてを公演するという幕府によって定められた規則の下で公演された(理由は、日没後に大衆が集まることで不穏な政治行動に発展することを幕府が恐れたためとされる)。したがって、当時創作された演目は、休憩時間や舞台転換などの幕間を考慮しても、比較的長大なものが多い。観客にとっても歌舞伎狂言を観劇することは一日がかりの行楽であった。そのなかで時代物を好む観客や世話物を好む観客など、さまざまな観客を楽しませることが、歌舞伎狂言の公演に求められた。そのためにひとつの演目で、時代物と世話物が幕間をはさんで混在するような、複雑なストーリー展開をみせるものも少なくない。なお、今日では演目のすべてを上演することは多くない。人気のある場面を抜粋して上演することをみどり狂言と呼ぶ(「よりどりみどり」から来たとされる)。全編を通して上演することを通し狂言と呼ぶ。